1年

白血病になってから早1年がたちました。
いろいろあったけれど、本当に忘れられない思い出はたくさんあるなぁ、としみじみ、

告知の衝撃も、FLT-3陽性のことも、ドナーが見つからず母がドナーになって ハプロ移植を受けることになったことも、ドナー側の合併症の話も、成功率の話も、生存率の話も。

元々治療抵抗性で普通の人より生着率が低いことも聞いていて、1度目の移植から怖くて仕方がなかったです。

当日、退院した母に見守られながら、9時間かけて骨髄移植をしました。

その後はGVHDは出るも軽く、吐いても食べ吐いても食べ、なるべく口腔摂取を行うようにしていました。

day45ほどで退院し、お寿司を食べたりイオンに遊びに行ったり、友達と外で会ったりもしました。
楽しかったなぁ!!!


次の地獄は5/2。
血中内にBLASTが確認されて、検査の結果再発でした。
しかもフィラデルフィア染色体陽性。
なんぼほど遺伝子異常でてくんの?!と引きながらも、フィラデルフィア染色体には有効な薬がたくさんある!とのことで、2種類の薬を飲んでいました。

ブログ等でも、薬と共存して生きている方を何人も見かけるので、そうなるのかなーと思っていたんですが。


今度はまた違う形の白血病細胞が見つかりました。
もうギャグじゃん、と聞いた時は思いました。

今のところ、FLT-3とフィラデルフィア染色体となんだったかが身体の中で共存してる状態です。


提示されたのが、【緩和ケア】と【臍帯血移植】。


再発しても移植はするぞ!という気持ちで挑んだんですが、先生から緩和ケアを提示されるとは思わずすごい驚いてしまった記憶があるなぁ。

というのも、臍帯血移植をしての再発率の高さ、10年生存率が5%、移植中やその後GVHDが酷く出る可能性が高いこと、等その時点でのわたしの体力がもつか?!問題が大きかったようで。

もっと筋トレしときゃよかったなーと後悔先に立たずな事考えながら、親と話してました。

本来であれば緩和ケアを選択しようかと思ってたんですが、少しでも希望があるなら!周りの後押しもあって、臍帯血移植を選択しました。

どこかで暮らされているお子様、本当にありがとうございます。

が、平和に終わるはずもなく。続々と問題が押し寄せてきました。

まずは、マイロターグの副作用。
これまでで1番辛かった気がします。治療やめたいと思ったのは、多分ここが初めて?かも?
4回やるところを2回に減らせたのはよかった。

って、なんとか乗り越えてようやく一息つける…ってもんじゃないんですよね。

次に来たのはイレウス
土曜夜あたりから腹が痛いぞ?と思いはじめたら一気でした。
「 レントゲンだと異常ないんですけどね~」
で余計に腸の動きの弱まる麻薬を出した先生のこと、忘れませんよ…… 。
あの時は本気で殺してくれーと延々考えてました。

イレウスに2週間?近く悩まされ、ようやく開放されたー!!!と思った矢先に、背中とわきに謎の痛みとかゆみが。
常に痒いし痛いので、一生懸命ベッドと背中を擦り合わせてました。
その痒み痛みも徐々に強くなって、「 かいたらいけないとわかっていてもかかずにはいられない」「 案の定痛すぎて吐きそう」みたいな日々を過ごしてました。
ちなみに痒みのレベルは10、痛みのレベルも10でした(焼きごて押し当てられたみたいな)

1度シャワーを浴びた時、ぬるめのシャワーが気持ちよかったので、「 冷たいシャワーなら気持ちいいかも!」と思いついてその後「 やっぱ冷たいな」と温かいシャワーを浴びた際、一瞬気絶しました。危ない。みなさん温度差には気をつけて- =͟͟͞͞ ( ꒪౪꒪)ฅ✧

その後、無事生着!!!!
と思いきや血中にBLASTが!治療するには免疫抑制剤切るから今(背中の異常な痒みと痛み)の症状が悪化するかもよ!(意訳)
もう心身ともに疲弊していたわたしは、ここで緩和ケアを選んだのでした。

0.5くらい我慢しろよ、とか言われるかも知れませんが、その前の症状が辛すぎて耐えきれる自信がありませんでした(考えるために1時外泊させてもらってそこで死のうかと思ったくらい)

今は緩和ケアで家にいますが、ものすごく快適です。
あんだけ悩まされていた痛みや痒みもわずかしかなく。

今はよくわからない左足ふとももと右足の青あざの痛さに悶絶してるくらいです。
つらいし、いたいけど、病院で処方されたお薬で対応出来ているので、なんとか。


トイレ介助のときに父の腰を傷めさせてしまったり、夜4度ほど痛みや服の着替えて母をおこしてしまったり、もっと自分で出来ることを増やさないとな、と思う次第です。

お父さん、お母さん、妹、弟、本当にありがとう!
お寿司食べないと!!!🍣